塩麹豆腐のカプレーゼ #dinner / is_kyoto_jp
“飲む点滴”甘酒は、疲れているときのパワーチャージになると言う!老化を防いで美肌に良い麹を身近なモノにしたのは“塩麹”ブームです。
カンブリア宮殿では、塩麹の生みの親である麹屋本店の“浅利妙方峰(あさりみょうほう)”さんが登場しました!
麹屋本店
大分県佐伯市にある「麹屋本店」は、1689年に創業しました。江戸元禄時代から続いているお店です。築300年の“塩室”で麹は作られます。
麹とは、米・麦・大豆などに麹菌を繁殖させたものです。しょう油・味噌・日本酒・みりん・酢など日本の伝統的な調味料は、麹の力で発酵させてきました。
「麹屋本店」では、種麹と呼ばれる麹菌を蒸した米に合わせて温度や湿度を管理しながら混ぜて行きます。4日後には麹菌が発酵して“麹”が出来上がります。
麹の危機
浅利妙方峰(あさりみょうほう)さんは、1952年に長女として生まれました。当時は多くの家庭で味噌や甘酒を作っていて“麹屋”は普通にありました。
時代と共に味噌は買うモノに変わって、“麹屋”は売れなくなりました。“どこかに麹の復活させる方法はないか?”と本を読み漁ります。
“塩麹”が誕生する
江戸時代の文献である「本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)」に出合います。そこにあったイワシの料理法、粕漬や塩麹漬けと書かれていました。
味噌や甘酒ではなく、他の料理法で探してビビッときたのが“塩麹”という文字でした。“塩麹”とは、塩と麹を混ぜて水を加えて発酵させたものです。
「麹屋本店」では、2007年に“塩麹”を販売しました。かつてない麹が主役の調味料が誕生しました。塩麹の発売とともに無料講習会を開きレシピを紹介します。
“塩麹”は、静かなブームを呼び4年後にはメディアが紹介するようになります。浅利さんは“塩麹”の作り方を独占することなくレシピを公開します。そして全国的な塩麹ブームが来ます。
独り占めしなかった理由とは
麹に見切りをつけず「発見」への思いはいつから?
次男が「麹屋」を継ぐからと言われて、このままで渡すわけにはいかない!
「宝は足元に眠っているかも知れない」と産業科学技術センターの人に言われました。そこから麹の本を読み塩麹に行き着きました。
商標登録をしなかった理由とは?
商標登録はお金がかかるんです。
産業科学技術センターで「商標登録をして囲って守る方法と、周知の事実にして皆さんに広める方法がある」と言われました。
「みんなに知らせよう」と決めブログでも発信した。
独占しない代わりに塩麹マーケットは爆発的に広がった!
そういう意味では囲わなくて良かった。皆さんが協力してくれたから塩麹は羽をつけて跳んでいった。
ひとつの流行で終わらず、ひとつの調味料のポジションを獲得できた。
手を開けていると拾うことができるが、握っていると次のものは握れない。一番欲張りなのは私です。
絶品!麹レシピを大公開
浅利さんは、麹を広めるために独自のレシピを考案して本を7冊出しています。従業員のまかない作りで麹レシピは開発されます。
麹にはタンパク質を分解する力があります。卵に混ぜることでアッと言う間に黄身と白身が混ざります。卵焼きの仕上がりはフワフワになります。
鶏肉のしょうゆ麹焼きは、肉が柔らかくまろやかになるメニューです。従業員にまかないとして出して試食してもらいます。こうしてレシピ本に掲載されるメニューが決まります!
麹を世界に発信!
浅利さんは麹を世界に発信しようと英会話を特訓します。“愛と麹で世界を良くしましょう”YouTubeで動画を作りました。
経営者としてのビジョンとは?
麹の力で世界中の人のおなかを元気にして幸せにしたい!
戦争や争いで世界が平和になって行くことはないけれど、食べ物がおいしくて笑顔になれば、きっと争いも消えて行く。
編集後記
「麹」も「編み物」も、昔からあった。古来から必要とされ、親しまれてきたものだ。
浅利さんも、御手洗さんも、これらを活かし、地方で成功し、地域再生にも貢献している。だが、資源の再発見と活用は簡単ではない。
知識と経験を総動員する必要があり、創り出そうとしている商品には需要があるはずだという予測がなければならない。
だが、予測は、確信とは違う。最終的には自らの直感を信じるしかない。
お二人は、危機感を失わず、考え抜き、協力者との信頼を築くことで、自信の直感の正しさを証明した。挑戦する女性は、美しい。
予測から確信へ・・・村上龍・・・
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