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夏の旅行におすすめ、秋田県仙北市は観光スポットが目白押しです!1996年に設立された「あきた芸術村」は、複合レジャー施設です。経営しているのは、劇団“わらび座”を率いる『株式会社わらび座』なんです。
8月11日(木)の「カンブリア宮殿」では、『株式会社わらび座』会長の“小島克昭(こじまかつあき)”さんが登場しました!
秋田県仙北市の観光とは
「角館」は、江戸時代に建てられた武家屋敷が並びます。たつこ像で有名な「田沢湖」は、深さが日本一の湖です。日本一の秘湯といわれる「乳頭温泉郷 鶴の湯温泉」は、露天風呂を目当てに全国から人が集まります。
「あきた芸術村」は、東京ドーム2コ分の広さがある複合レジャー施設です。「劇団 わらび座」によるミュージカルは、東北を題材にした演目にこだわっています。食事や温泉を楽しむことも出来ます。
あきた芸術村の過ごし方
「劇団 わらび座」によるミュージカルを楽しんだら、天然の温泉に入ります。温泉の後は、秋田県発の地ビール“田沢湖ビール”がおすすめ!わらび劇場のすぐ隣に工場があります。
“田沢湖ビール”は、最高級のドイツ産の麦芽を使ったビールです。世界の品評会で数々の賞を受賞しているビールです!小松工場長は、本場ドイツでビール作りを勉強しました!
ホテル「温泉ゆぽぽ」
ホテル「温泉ゆぽぽ」は、1泊2食付きで9,114円から宿泊できます。お部屋の数は62室で年間2万7000人も利用されています。
秋田の食材を使った夕食を楽しみながら、わらび座の役者による秋田の民謡や踊りを見せてくれます。
わらび座の歴史とは
『劇団 わらび座』は、1951年に東京で創立されました。創立者は“原太郎”さんです。2年後には、民謡・民舞の宝庫である秋田に移転しました!
歌や踊りが庶民の暮らしの中に息づいていた秋田では、農作業をしながら民俗芸能を学びました。
70年代から80年代まで
1970年代には、独自の演目が大人気になりました。1974年には、6憶円の建設費をかけて「わらび劇場」が完成しました。ほとんどが支援者の寄付によるものです。
1980年代には、娯楽の多様化で客足が減ってしまします。倒産の危機を迎えて、劇団員の半数は離れていきました。
アメリカの西部に立て直しのヒントがあった
わらび座の立て直しを託された小島社長はアメリカ西部にある「アシュランド」に向かいます。アシュランドでは、人口2万人の小さな町の経済を地元劇団が支えています。
この小さな町に年間30万人の観光客が集まってくる。演目は、伝統的なシェークスピアを現代風にアレンジしたものです。
観光客相手にレストランやホテルなどサービス業も発展しています。ひとつの劇団が街全体を潤しています。
これを見た小島社長は、秋田にも「滞在型のリゾート」を作ることを計画しました。
わらび座の活動とは
踊り教室には全国の学校から参加
わらび座は、民族芸能を活かしていく取り組みを行っています。わらび座オリジナルの“ニューソーラン節”を使って、子どもたちに踊りを教えています。
踊り体験教室は、全国から年間約180校が受講しています。なぜ、体験教室に参加するのか?
クラスの輪を強めて高めたい!一つの目標、一つのものを作るという大きな意味をこの体験を通して味わわせたい!
演劇で営業力アップ
わらび座では、演劇の力を使って社員研修を行っています。講師は、わらび座演出の担当をしている“栗城宏”さんです。
住宅販売会社「シリウス」の営業社員は、演劇のノウハウでコミュニケーション力をアップさせることを目的として研修を受けました。
3泊4日の研修で“自分の殻を破る”ことを身に付けます。
人間はいろいろなもので覆われていて、それを打ち破ることで自分の中に別のものを発見できる。それが喜びになる過程がある。人に伝えることができれば相手との関係性が増していくことを発見したりとか。
株式会社わらび座とは
「株式会社わらび座」は、劇団員を生涯雇用しています。そうしないと劇団として成り立たないという側面を持っています。
従業員250人のうち劇団員は80人います。田舎で劇団を続けるためには、演劇も生活も全部抱え込まないと成り立たないんです。
東京のように生活はアルバイトで成り立たせて、劇団ではやりたいことをやるということはできません!
巡業チームによる公演
わらび座には、3つの「巡業チーム」があります。年間約400公演も行っています。創業当時から60年続いているわらび座の伝統です。
学校への公演は、年間約260校にもなります。
秋田発!異色の地方劇団
わらび座のミュージカルは、自前で作った演目を使っていました。ジェームス三木や内館牧子など一流のクリエイターと民族芸能をミックスすることで“和製ミュージカル”を作ることに成功!
わらび座劇場と巡業チームとを合わせると年間700回の公演回数になります。これは、劇団四季や宝塚に次ぐ観客動員数になります。
年間40万人に支持される理由とは
舞台の仕事というか文化とか芸術の仕事は、生活にとってタンパク質ではないと思う。
タンパク質や炭水化物ではないがビタミンみたいなもの、嗜好品だけども、なければ人間の生存にいろいろ支障をきたすようなものだと思う。
舞台の仕事とはそういうもの、何日間か幸せな気分に浸っていられる部分もあるし、苦しいときには舞台を思い出して生きる力にできると思う、そういうものでありたい!
わらび座の経営改革について
ミュージカルへの転身と地ビールを作ったのは同時進行に行ったのか?
70年代の終わりから80年代にかけては、わらび座は自己完結型だった。
劇団員同士が結婚して子供が生まれたら保育所で24時間保育があるので、親が全国巡業で保母さんに子供を預けて舞台に専念できる環境まで一貫して作っていく。
その中で舞台のの仕事は、全部自分たちでできる
成功体験に縛られると硬直化してしまうのでは?
何年計画とかをたてて、生活共同体から自立した個人の経済生活に切り替えるような給与体系の変更とか、
労働時間の問題とか定年制の導入だとか、共同生活をやっていた劇団員向けの社宅をつくったり、余裕のある人は外に出て自分の家を建てるとか総合的なもの
最初の経営改革とは?
わらび座の経営改革を最初に考えた時は内部資源の活用だった。それは第一に人材、人間の能力をもっとアップさせる。
そのための投資をどんどんする。温泉経営で上げた利益で外部の演出家を招いたりして、どんどん役者を訓練させる。
投資を含めて人材育成をやる。劇場を中心にした芸術村をつくる時は、エンターテイメントの楽しさが満載なものをつくろうと考えた。
地方劇団の農業改革
日本一のブルーベリー
劇団わらび座は、“にこにこ農園”でブルーベリーを作っています。15年前に、舞台を見に来てくれたお客さんに収穫体験としてスタートしました。
少しずつ広げていって1万本になりました。ホテルニューオータニのパティシエは、日本で一番のブルーベリーと絶賛するほど、大きくて美味しいブルーベリーです。
秋田県では、耕作放棄地がたくさんあります。そんな耕作放棄地にわらび座は、ブルーベリーの栽培技術を無償で提供しています。
今では、20軒の農家のネットワークが出来ています。勉強会や視察に行ったりと交流があります。
地方で地域を再生させるヒントとは?
今ほど可能性に満ちた時代はないんじゃないか、地域もいろいろな新しいことを始めるには、今はいい時代です。秋田県は高齢化の最先端地域、日本の農業は外国の農産物が入ってくるからダメになるのではなく担い手がいないから、農家は年をとって跡継ぎいないからが日本や秋田県の農業の先行きが見通せないだけ、若者たちに面白いと思うものがここでできればいい!
自分たちの持っている強みとか資源とかが分からないとダメなのか?
今はそういうことが角度を変えたり、よく考えてみればいくらでもあるという時代、それを展開させる、いろいろな条件に満ちた時代と社会なんじゃないかと思う。
国産大麦で極上ビール
宮城県仙台市にある仙台マーブロードでは、田沢湖ビールが飲めるレストランがオープンしました。
「ダイニングキッチン 田沢湖ビール仙台」は、大きなグラスにビールが入って飲みごたえたっぷりのビールが登場します。わらび座が作っているビールです。
ビールの原料の大麦は、耕作放棄地をかかえていた農家に栽培を委託しました。わらび座が一括購入しています。国産大麦を使った地ビールは、販売するとすぐに完売するほどの人気があります。
9月30日には、田沢湖ビール「あきた麦酒 恵」が販売されます。こうした国産大麦を作る農家を増やして、秋田の農家を元気づける活動もしています。
村上龍 編集後記
子どものころ、街の中に芝居小屋があって、無名の一座が巡業に来ていた。
地方の人が簡単に大都市に行ける時代ではなく、エンターテイメントは地域に根ざすより他なかった。
「わらび座」創始者の原太郎は、地方・地域に根ざし、土地の人々や伝統芸能をリスペクトして共存していくという理念を実践し続けた。
その精神は小島さんによって受け継がれ、新しい地平が開かれた。欧米の影響が濃い近代演劇より「わらび座」のほうが本質的で先駆的かもしれない。
単に生活に彩を添えるのではなく、必需品としての文化を生み出した。
必需品としての文化・・・村上龍・・・
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